平成22年11月7日(日)13:00〜
「増田宋太郎の足跡をめぐる」と題して、史跡と浪漫を探訪する会が開催されました。
秋の恒例行事となったこの市内散策は、今年で5回目。
歴史に興味のある一般参加者を含めた約30人で2班に別れ、歴史を語る会の先生方の案内で増田宋太郎の足跡を辿っていきました。
秋晴れの下、宋太郎の生きた激動の時代に思いをはせながら、中津城公園をスタート・ゴールとした約2時間半の大変有意義な散策となりました。
増田 宋太郎(ますだ そうたろう、嘉永2年2月23日(1849年3月17日) - 明治10年(1877年)9月)は、中津藩下士増田久行の嫡男。母は九州国学の三大家の一人、渡辺重名の娘。父は儒学者・福沢百助の妻のいとこ。福沢諭吉とは再従兄弟にあたり、家も近くである。幼名は久米丸。「共憂社」主、西南戦争における中津隊々長。
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